![にほんブログ村 歴史ブログへ](https://b.blogmura.com/history/88_31.gif)
にほんブログ村
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1055230.jpg)
あなたは、薩摩隼人(さつまはやと)というコトバを、聞いたコトがあるでしょうか?
強くて勇敢な、薩摩の武士を指して、言われるのですが
文字通り、彼らは戦国時代から幕末まで
秀吉や家康とさえ全力で戦い、そして実力を認めさせてきました。
そして幕末には、日本という枠さえ越え
セカイ最強の大英帝国と、衝突しました。
しかし、けた違いの戦力で、襲い来るイギリス海軍を相手に
いったい島津家は、どうするのでしょうか?
燃えあがる薩摩の城下町
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1618286.jpg)
![イギリス海軍](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/いかるアメリカ人-150x150.jpg)
Fire at will!
苛烈に容赦なく、サツマの砲台にも、港の船にも、城下町にも
大砲やロケット砲を、撃ちまくるイギリス軍艦。
ちなみに、このとき鹿児島湾には、たまたま沖縄・琉球の使者も訪れていました。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2416895-1.jpg)
琉球王国の王子が乗っていた船も、停泊していましたが、とばっちりで攻撃されます!
![琉球王子](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2380545-150x150.jpg)
な、なんだ!これは、どうなっておるのだ!
バンバン、イギリスの砲弾が降り注ぎ、船も大被害。
王子は、命からがら、逃げ出すことができましたが・・
3隻あった琉球の船は、すべて燃えてしまいました。
もうメチャクチャです。
夜になると、薩摩の城下町は、炎で真っ赤に燃え上がったといいます。
民家350以上、侍屋敷150以上・・さらに、貴重な
お寺や神社の多くも、焼失する大損害を受けてしまいました。
痛み分けとなった薩英戦争
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/826011.jpg)
しかし、いっぽうイギリス側も、薩摩の反撃に、まさかのダメージ!
戦艦の1隻が大破・死傷者は60人以上と、被害を負いました。
提督は、これ以上は、深追いできないと判断し、すべての戦艦が、
拠点の横浜へと、引き返していき、ここに薩英戦争は終結しました。
勝敗として、どちらの勝利とみなすかは・・
意見の分かれるところと、なりそうです。
しかし島津家としては、ここまで海外の情報をあつめ、装備を近代化させ、
そこそこは、欧米と対抗できる自信を、持ちつつありました。
しかし実力的には、圧倒的な差を見せつけられ、大被害。
その上、こんかい戦ったのは、イギリス海軍の1部隊です。
もし本気の戦力で攻め寄せて来たら、どれほど恐ろしいか・・
まさに身をもって、味わうことになりました。
セカイにも広がった、薩摩藩の実力
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/536364.jpg)
いっぽう大英帝国も、海からの攻撃のみで、上陸は出来ず。
あわや提督も死にかけ、薩摩藩が、これほどやるとはと、
おどろきを隠せませんでした。
このニュースは、世界中に広がり、当時のニューヨーク・タイムズ紙には
こんな社説が、掲載されました。
「この戦争によって、西洋人が学ぶべきことは・・
彼らは勇敢であり、武器や戦術にも、予想外に長けている。
もし戦えば、完全に降伏させるのは難しいだろう。」
手を携える大英帝国と薩摩隼人
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1110618-1.jpg)
ところで・・この事態に、気が気ではなかったのが、江戸幕府です。
なにしろ欧米の、けた違いの戦力を、もっとも熟知していました。
だからこそペリー来航以来、コトを荒立てないよう、
強引な要求も受け入れ、ガマンにガマンを重ねてきたというのに・・
何をしてくれるんだ!・・という、ハナシです。
しかし、さすがの薩摩藩も、さらに欧米と、やり合っては
とても守り切れず、滅んでしまうかもしれないと、痛感。
幕府からも説得され、大英帝国の要求を受け入れる、判断をしました。
ただし賠償金については
![島津久光](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2438638-150x150.jpg)
われわれは、先の戦いで、城下町がメチャクチャとなり、
支払える資金が、なかでごワス!
・・と主張。なんとか、穏便にすませたい幕府は、苦渋の決断。
![江戸幕府](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/674928-150x150.jpg)
ええい、いたしかたない!賠償金は幕府の方で
立て替えておくゆえ、これでイギリスと交渉するのじゃ!
![島津久光](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2438638-150x150.jpg)
かたじけなか!
こうして、生麦事件からの、一連の戦いは、
お互いの和睦という形で、終結しました。
なお、このとき江戸幕府に借りたお金は、
けっきょく幕末の騒動にまぎれ、
なんだかんだで、踏み倒されました。
したたかな薩摩藩
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/280403.jpg)
また、生麦事件でイギリス人を殺傷した、薩摩藩士を差し出せ、という要求ですが・・
![薩摩藩士](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
本人は、どこかに逃亡してしまい、ゆくえ不明でごワス!
ウソかホントかわからない、うやむやのまま、
最後まで、押し通してしまいました。
薩摩藩の、外交のしたたかさが、うかがえる1つです。
さらに、交渉の場では、イギリスの力を、すなおに称賛。
![薩摩藩士](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
今回のことで、あなた方のすごさが、わかりもした!
それを受け、イギリス側もまた、称えます。
![イギリス軍](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/ほほえむアメリカ人-150x150.jpg)
You’re all very brave!あなた方のつよさ、戦いぶりには・・ワレワレこそ、驚きました!
戦争をきっかけに、むしろ双方は急接近。
幕府に内緒で、留学生をイギリスに送り、技術や制度を学んだり
最終的には、その軍事力をも、取り入れて行きました。
きのうの敵はきょうの友
かえすがえすも、これが薩摩の、とてつもないところ。
ついこの間まで、命を奪い合ってきた相手とも、手を結んでしまう
切り替えの早さ。
おなじ幕末では、山口県の長州藩とも、京都で激しく戦い
それ以来、長州藩士と薩摩藩士がバッタリ合おうものなら、斬り合いになると
言われたくらい、お互い、目の敵にしていましたが・・
やがて同盟を結び、ともに新時代を築く、同志となりました。
これは、単に合理的というコトバだけでは、片付けられません。
薩摩のサムライは、古来より
![島津義弘](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/池田恒興-150x150.jpg)
戦いがおわれば、敵を憎むな!
という精神を、教え込まれたと言いますが、
このコトも、とても大きいと思われます。
いま現代であっても、いったいどれほどの国が、これをできるでしょうか?
ただ、薩摩は強かった・・というだけでなく、こうした精神や外交は
令和の時代であっても、学ぶべきコトが、たくさんあります。
戦国から幕末を生きぬいた薩摩
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1527291.jpg)
戦国時代は、豊臣秀吉と徳川家康・・
幕末は、長州藩とイギリス。
いずれも、その時代の最強勢力と、いちどは全力でぶつかり、強さを認めさせ
戦いのあとには、ガッチリと手を結んでしまう。
もちろん、けた違いの強さが、あってこそ可能な、
はなれ業ですが・・事実として、島津家は
鎌倉時代に、薩摩にやってきて以来、
動乱の戦国時代や、幕末さえも、滅びることなく存続し
ついには、天下の覇者にも躍り出て、明治の新時代を、築いて行きました。
薩摩の強さは、イロイロな面から、見ることが出来ます。
・新選組さえ恐れた剣術、示現流
・数々の戦力差さえひっくり返した、釣り野伏せ戦法
・攻めながら逃げる、捨てがまり戦法
しかし、これらに加え、個々のサムライたちの
強靭な精神力と、団結力が合わさったと考えれば
もはや強くない方が、おかしいですね。
まとめ
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/平安カップル.jpg)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
なお、最後に・・こうした歴史のお話ですが、Spotifyのラジオチャンネルでも、語らせて頂いています。
アプリ登録などをしていなくても、聞けますので
もしよければ、是非こちらも合わせて、ご視聴ください。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/Spotifyスクリーンショット-1024x637.jpg)