![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2508782.jpg)
ここまで、島津家のけた違いさや、その強さの根源を、お話してきました。
薩摩は、豊臣秀吉や徳川家康など、当時の最強勢力と、戦ってきました。
しかし、そこから250年以上も経った幕末、こんどは日本という枠さえ超え
世界最強の帝国と、正面衝突する事態が、発生してしまいました。
そのとき島津久光は、そして薩摩藩は、いったいどうしたのでしょうか?
イギリスVS薩摩藩の始まり
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1057912-1.jpg)
ときは1862年、ペリー来航後の幕末。
横浜付近の生麦村(なまむぎむら)という場所を、
薩摩藩の大名行列が、移動していました。
![薩摩藩士](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
したーに~!したーに~!
当時のしきたりで、大名行列が来たならば、
庶民は道を空け、平伏しなければなりません。
そこへ、たまたま、馬に乗った4人のイギリス人が通り掛かりました。
![薩摩藩士](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
おぬしら、われらは島津久光公の一行なるぞ、道をあけるのじゃ!
しかしイギリス人たちは、そんな仕来たりは知りませんし、コトバも通じません。
![イギリス人](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/594932-1-150x150.jpg)
What did you say?
そんなことをしている間に、 彼らは行列のまっただ中に、
巻き込まれてしまいました。
動揺したイギリス人は、馬に乗ったまま、
島津久光の籠に、近づいてしまいます。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2240609-1-150x150.jpg)
この無礼者めが!チェスト―!!
側近の薩摩藩士は、斬りかかり、イギリス人を手討ちにしてしまいました。
世にいう、生麦事件です。しかし、自国民が殺傷されたとあっては、
イギリス本国が、黙っているはずも、ありません。
イギリス海軍の襲来
![大英帝国](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/158022-150x150.jpg)
薩摩藩の、カタガタ。謝罪して、賠償金を払いなさい。
そして、わが国民をサツガイした犯人を、差し出しなさい!
とうじ最新鋭の戦力をもつ、イギリス海軍の軍艦・・
ユーライアス・パール・コケット・アーガス・パーシュース
レースホース・ハボック
という7隻が、鹿児島湾にやってきました。
いずれも、当時の最新鋭の兵器を、備えています。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/334920.jpg)
とうぜん、言うコトを聴かなかったら・・どうなるか?
そんな含みを、たっぷりと持たせています。
屈しない島津久光と薩摩藩
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1965160.jpg)
ちなみに、アメリカのペリーが来た時、
江戸幕府は、武力で追い返すことは、できませんでした。
江戸に衝撃をあたえ『たった4杯で夜も眠れず』などという、詩ができましたが・・
4隻どころか、7隻もの軍艦が、来てしまいました。
さらに大英帝国は、そのアメリカよりも、はるかに強大。
世界地図を見れば、インドも、オーストラリアも、カナダも支配し、
中国の清王朝さえ打ち負かした、最強の帝国です。
この事態に、プライドの高い薩摩藩はいったい、どうするのでしょうか?
大英帝国の要求した、3つ
①事件を謝罪せよ
②賠償金を支払いなさい
③犯人を差し出しなさい
・・しかし、薩摩藩の返答は、明確でした。
![島津久光](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2438638-150x150.jpg)
謝罪はせぬ、賠償金は支払わぬ、斬ったものは差し出さぬ!
すがすがしいほどの、全拒否。
郷に入っては郷に従え、ここは日本なのだから・・日本のルールで手討ちにした。
ただの少しも、非はないと、まったく動じません。
ついに大英帝国は、堪忍袋の緒が切れました。
迫りくる大英帝国
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/818995.jpg)
ついにイギリス海軍は行動を開始、
まずは鹿児島湾に停泊している、サツマの船を攻撃。
海兵が乱入し、乗組員を殺傷したり、
追い出して、船を乗っ取ったりしました。
とうぜん薩摩藩も怒ります。
![島津久光](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2438638-150x150.jpg)
サツマの船ば、おそうとは、海賊にもひとしき行為!
イギリスの戦艦ば、返り討ちにするほか、なか!
ここに世にいう、薩英戦争の火ぶたが、切って落とされました。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/jose-g-ortega-castro-CBxwIZgXHeo-unsplash-1.jpg)
薩摩藩は、陸にそなえつけた大砲から、戦艦を迎え撃ちます。
しかし、大英帝国は、とうじ最新鋭のアームストロング砲も、積んでいました。
圧倒的に、弾の装填時間が短いうえ、射程もけた違いです。
![イギリス海軍](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/いかるアメリカ人-150x150.jpg)
ファイヤー !
その威力はすさまじく、薩摩の砲台は、次々に壊滅していきました。
そのままイギリスの圧勝かと思いきや・・しかし運は、薩摩藩に味方しました。
しだいに天気が激しく荒れ始め、イギリス戦艦の操縦が、不自由になりました。
島津軍の大反撃
![薩摩藩士](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
サツマの意地ば、みせるでごわす!
島津軍は、好機とばかり、大砲を撃ちまくりました。
そのうちの1発が・・提督の乗っていた、戦艦ユーライアスの甲板にさく裂!
副館長が戦死、提督も吹き飛ばされ、ケガを負いました。
ちょっと位置がずれていれば、あわや提督も戦死でした。
自他ともに、世界最強といわれる大英帝国ですが・・
日本の1地方勢力を相手に、まさかのダメージを受けます。
イギリス海軍は、プライドに傷がつけられ、完全に怒り狂います。
さて、この戦いのゆくえは、どうなるのでしょうか。
そして、どんな結末へと繋がって行くのでしょうか?
ちょっと長くなって参りましたので、続きに関しましては
以下の記事で、お伝えしています。
≫セカイにとどろく薩摩隼人たち
ここまでお読みいただき、有り難うございました。