![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/大内領土改.png)
大内義隆は、天下統一できたかも知れない大名だった。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2099122-1.jpg)
さて、とつぜんですが・・あなたは戦国時代、
秀吉や家康などを除き、天下を取れた可能性のある武将は?と
聞かれたら、だれを思い浮かべるでしょうか。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/03/男性上司-150x150.jpg)
伊達政宗が、もう少し、はやく生まれていたら!
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武田信玄が、長生きしていたら、信長も負けていたかも?
きっと、そうした人物が、まず筆頭にあがってくるかと思います。
しかし、そんな英雄が活躍する、すこし前・・まだ信長も幼少の頃。
天下統一に、もっとも近かった大名の筆頭、それが大内義隆でした。
そんな彼ですが、どのような人物で、どういった運命を、たどっていったのでしょうか?
西国一の大勢力
本拠地は周防(すおう)の国。いまの山口県にあたりますが、
その勢力は、当時の7か国にもおよび
西は北九州や博多まで支配、大陸との貿易を独占し、巨万の富を得ていました。
もちろん九州にも、多くの戦国大名がいます。
しかし強大な大内家には、うかつに手を出せず、
むしろ従ったり、手を結ぶ武将が、大勢いました。
逆に東側はと言うと、いまの島根県、石見の国。
世界遺産となっている、石見銀山をも、手中に収めていました。
そして全国が戦乱で荒れる中、大内の本拠地、周防は安全かつ、
大いに栄え、西の京都とも呼ばれていました。
フランシスコ・ザビエルも大内の勢力に驚嘆
さて、この時期。キリスト教を布教しようと、ポルトガルから、
フランシスコ・ザビエルがやってきます。周防の国をみた彼は、思いました。
![<strong>フランシスコ・ザビエル</strong>](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/ザビエル-150x150.jpg)
ジパングのミヤコ、キョウトは、せんそうでアレている。
それにくらべて、スオウのクニは、とてもサカエている。
これからジパングの王は、オオウチ様になるかもしれない!
ザビエルは、とうじ日本に無かった、
望遠鏡やオルゴールやガラスの器など、めずらしい
お土産を手に、大内義隆に謁見すると、大いに喜ばれました。
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
おお!これが南蛮の酒、ワインというものか。なんとも赤き色をしておる!
んん?この透明な、まるいモノはなんじゃ?
![<strong>フランシスコ・ザビエル</strong>](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/ザビエル-150x150.jpg)
オオウチさま、それはメガネにございまする。目のチカラ、おとろえたモノも
メガネ、つかいますれば、みなとおなじヨウに、みること、できまスル!
日本で最初にメガネをかけた人物は、大内義隆だったと、伝わります。
またキリスト教の布教も許可。
日本ではじめて、クリスマスが開かれたのも、
大内の支配する、周防の国であったといいます。
大内家VS尼子家
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1077547.jpg)
さて、これほど隆盛をきわめた大内家ですが、
しかし、その前に、大きく立ちはだかっていた、戦国武将がいました。
いまの島根県、出雲の国を本拠地とした尼子(あまご)氏です。
当主の尼子経久(あまご・つねひさ)は、もともと出雲をおさめていた守護大名を、
下克上で追い出し、知略と実力によって、軍事力を拡大。
大内家にも、脅威をあたえていました。
さて1540年、尼子家は、おおきな勝負に出ます。
安芸の国(広島県)の1地方を支配し、大内にしたがっていた毛利元就を滅ぼし
一気に中国地方の覇者となるべく、約3万ともいわれる大軍で、南下。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/110964.jpg)
当時、毛利氏は兵力3千にも満たない、弱小勢力。
絶体絶命のピンチとなりますが、持ち合わせていた実力と知略で、よく守り
さらに大内家からは、武勇と血気にあふれる、陶隆房(すえ・たかふさ)
という武将が、約1万の軍勢で、毛利をたすけるべく出陣。
力を合わせて、みごと尼子軍を撃破し、追い返しました。
世にいう、吉田郡山城(よしだ・こおりやまじょう)の戦いです。
それを見ると、尼子につき従っていた豪族も、
つぎつぎと、大内になびいて行きました。
ついに京都を目指す大内家
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
隆房、こたびの勝利、大儀であった!そなたのおかげで、風は大内に吹いておる!いまこそ尼子を叩き、決着をつけるとき!
![陶隆房](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
はっ!まさに、今こそ好機。しかし、この隆房・・
尼子を滅ぼしたのち、お館様には、京都へ進軍してほしゅうござりまする!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
隆房、おぬし、ワシに天下を取れと申すか?
![陶隆房](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
いかにも!いまや足利幕府の力は衰え、国中みだれておりまする!
力つよく、皆を従える者が、はよう天下を平定せねばなりませぬ。
お館様こそ、それを為すべきお方に、ござりまする!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
あいわかった!つぎの戦はワシみずから出陣しよう。また力を貸してもらえるか?
実際に大内は、義隆のじだいに最盛期を誇っており
財力・軍事力・家柄とも、大名の最高クラス。
京都に上洛し、日本全土を平定していくことは、
もはや野望や夢といった段階ではなく
目標といえるほど、現実的であったと思います。
万単位の大軍勢で、動き出した大内軍は
尼子軍の城を次々と陥落させ、進撃していきました。
![周辺の豪族](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1254026-150x150.jpg)
大内はいまに天下をとる。はやく、忠誠をしめしておかねば
![豪族・吉川家](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/吉川-150x150.jpg)
われら吉川家、尼子から離れ、大内様に加勢いたしたく、はせ参じましてござりまする!
周囲の豪族も、つぎつぎに参戦。尼子の本拠地に達するころには
その軍勢は4万人にも、ふくれあがっていました。
いまも山口県に色濃くのこる大内文化
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1934495.jpg)
さて、ここでちょっと、話が変わるのですが・・
あなたは今まで山口県に、
観光に行ったことはあるでしょうか?
いまも大内のレキシや文化を、色濃く残しているものが多数あり
その一つが、 山口駅から車で5分ほどの場所にある、瑠璃光寺(るりこうじ)というお寺です。
その境内は、思わずうっとりしてしまいそうなほど、美しく
大内氏が建造し、国宝に指定されている、五重の塔も、建てられています。
いぜん僕は、歴史好きの先輩に案内してもらい、初めて知りました。
そして、ここには山口の歴史を展示する、資料館もあり
そこには、大内義隆も紹介されています。
しかし、その展示の前で、先輩は、ちょっと切なそうに言いました。
![先輩](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/03/2354456-150x150.jpg)
あ~、このお殿様ね~。生まれる時代・・間違えちゃったんだよな・・。
いまもなお、伝えられるほど、すばらしい文化を栄えさせ
名実ともに、天下に覇を唱えられる位置にいた、大内義隆。
ですが、生まれる時代を間違えたとは、どういうことなのでしょうか?
そして、尼子氏を攻めたのち、大内氏に何があったのでしょうか?
ちょっと長くなってまいりましたので、大内義隆に関しましては
また次回に続きを、お伝えしたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
≫【大内義隆②】立ちはだかる尼子家、大内家は天下統一できるのか?