こんにちは。この記事では、戦国時代の大内義隆について
わかりやすく、ものがたり調で、解説させていただいています。
前回、もはや大内家は日本全国を、統一してしまいそうな勢いさえ
みせていました。これから、いったい、どうなっていくのでしょうか?
立ちはだかる月山富田城(がっさん・とだじょう)
ときは戦国時代、1542年。
いまの島根県・出雲の国へ、大内は軍を進めました。
宿敵の尼子家を討伐し、そのまま京都へ進軍、天下を手中に納めるべく
一大勝負に撃って出ます。
大きな視点で見ても、風は完全に大内にふいており、
日和見であったり、尼子に味方していた豪族さえ
つぎつぎと、大内に臣従。その軍勢は、ますます膨れ上がります。
しかし、主力武将である、陶隆房(すえ・たかふさ)は、主君に注意を促しました。
お館様!急に加わってきた者ら、信用しすぎてはなりませぬぞ!
尼子の間者も、まじっておるやも知れませぬ!
うむ、心得ておる。かの者らには、最前線で戦ってもらおうと思うておる。
たしかに命をかけて戦うならば、信じてやれるというものじゃ!
これから、天下の覇者となりそうな大内に、忠誠をしめすべく
後から加わった軍勢は、よく戦い、尼子の城を、
つぎつぎと、陥落させて行きました。
尼子家の切り札
しかし、尼子は下克上で成りあがった、生粋の戦国大名。
2つの大きな切り札を、残していました。
その1つが、本拠地の月山富田城。山の地形を利用した、
強固な要塞として築かれており、通称「天空の城」とも呼ばれます。
難攻不落を誇っているうえ、そこに籠っている軍勢は約1万。
攻め手の大内は4万を超えていましたが、果敢に攻め立てても、びくともせず。
時間が経つと・・ぎゃくに大内軍の方に、疲れが見え始めてきました。
そうして決め手を欠いたなか、ある日の軍議・・
月山富田城・・これほどまでとは、このままでは埒があかぬ!
そうしたなか、吉川という豪族が、全員のまえで、申し出ます。
大内様。われら、すこし前まで尼子に味方しておりましたゆえ・・
じつは、あの城の、弱点となる方角を知っておりまする!
おお、それは、まことか!しかしなぜ、今まで言わなんだのじゃ?
とうぜん尼子も警戒しておりましたゆえ、しかし・・時が経ち、
油断がみえまする。手薄になった今こそ、攻め入る好機にござりまする!
われら吉川が、先陣をつとめますゆえ、あとに続いて下され!
あいわかった。いまこそ決着のとき!みなのもの、総攻撃をかけるぞ!!
にわかに攻略の糸口をつかんだ、大内軍。
先鋒の吉川は、怒涛の勢いで、城に突進して行きます。
しかし、その直後・・不可解なことに、尼子軍は自ら城門を開き
吉川勢を、迎え入れました!
な、なんじゃ、これは?どうなっておるのじゃ?
大内の全軍が、狐につままれたような心持ちで、戸惑っていると・・
城内から、尼子の兵があふれ出てきました。
そして吉川の兵も一緒になって、大内軍に突撃してきます。
尼子が持っていた、もう一つのとっておきの切り札、
それは・・この吉川でした。
おそるべき尼子の計略
じつは、今回の戦争がはじまるまえ・・
尼子は、あらかじめ計略を考えていました。
吉川、頼みたきことがある。おぬしも『尼子はもう滅びるゆえ、
大内に味方する』といって、やつらの軍に加わってくるのじゃ!
なるほど・・ワシに密偵になれということですな。承知いたしました。
われら大内に混じり、その内情なにもかも、お伝えいたしまする!
そんなことは必要ない!見つかりでもしたら、どうするのだ?
徹底して大内の人間になりきれ!戦いになったら、尼子の兵を斬ってもかまわん!
なんと、さすがに、そのようなコトはできませぬ!
斬ってもかまわん!敵をだますとは・・
そこまでやるということだ。もはや誰も、お主を疑う者はあるまい!
こ、このお方は鬼じゃ・・。
月山富田城は決して陥落せぬ。敵は必ずや疲れ果て・・あせる。
そんなとき、おぬしがとつじょ牙をむき、大内の喉元に食らいつく!
しょ・・承知いたしました!
よう、わかったか?この戦国の世で勝ち抜くとは、そういうことだ!
計略は的中!大内軍は大混乱に陥り、またたくまに、ズタズタにされてしまいました。
大内を討ち取るのじゃー!この出雲から、生かして帰すでない!
戦国の合戦では、めずらしいパターンですが、城を囲んでいた側が、まさかの大敗。
尼子の追撃は苛烈をきわめ、大内側は、多くの家臣が、討ち死にしてしまいました。
そのなかには、大内義隆が可愛がっていた、養子の大内春持の名も、入っていました。
戦意喪失してしまった大内義隆
さて、大内義隆はというと・・家来にまもられ、なんとか命からがら、
周防に逃げ帰ることが、できました。
しかし、いままでの人生で、こんなにも恐ろしい思いをした経験はなく・・
また、春持をうしなった悲しみも合わさり、すっかり戦意喪失してしまいました。
生き残った家臣には、陶隆房もいましたが、すぐさま義隆に警告します。
お館様、このままでは尼子の軍勢、おしよせて参りまする!
急ぎ東の防備を、固めねばなりませぬぞ。各武将へのお下知、お願い申し上げまする!
隆房・・ワシはもう、戦はこりごりじゃ。
あとは、おぬしが何とかしておいてくれまいか?
お言葉ながら・・このような時こそ、お館さま自ら、強きお姿
みせねば、皆が奮い立ちませぬ!
すまぬ隆房、わしは今は、戦のことは・・あまり考えとうないのじゃ!
なにを弱気な、我らはまだ、敗れてはおりませぬ。まだいくらも、反撃の手段は、ありまするぞ!
陶隆房のいうとおり、大被害を受けたとはいえ、大内家の強大な勢力は、いまだ健在。
しかし軍事的に、積極的でなくなった、大内の姿勢を見破った尼子は、
一気に勢力を拡大。
大きな財源であった1つ、石見銀山も、うばわれてしまいました。
その後、さらに危機感をつのらせた陶隆房は、なんとか形勢を盛り返そうと、
たびたび義隆へ働きかけます。しかし・・
申し上げまする!それがし、尼子に攻め入る策を、考えてまいりましたぞ!
隆房、人間・・欲を持ちすぎてはいかん。
わしらは、いまの領地を守りさえすれば、それで良いではないか?
お館さま!いまは強きモノこそ、生き残る時代。守ってばかりでは、つけこまれますぞ。大内に味方する豪族も・・今に、われらを見限りまするぞ!
隆房・・おぬしはちと、肩に力が、入り過ぎておる。もうよい、さがれ!
そんな・・お館さま!
文化活動に注力する大内義隆と、反発する武人たち
月山富田城の大敗いらい、大内義隆は、天下統一はおろか
強気に打って出る意志はなくし、守りの姿勢に入ってしまいました。
そして、そんな義隆の心を癒したのは、学問や芸術でした。
もともと本拠地、周防の国は、京都の戦乱などから逃げてきた
僧侶・文化人・学者などが大勢いました。
大内家は、こうした人々を、積極的に保護していましたが・・
義隆は、今までよりもさらに、こうした人々の活動を支援。
まるで京都・・いや、それ以上とも言われるほど、周防は華やかになっていきました。
うむ、かような時代であるからこそ、ひとは心の豊かさこそ、
大切なのじゃ。ワシの天命は、美しく、皆の心が、花開くような国を作ることじゃ!
暗雲うずまく周防の国
大内義隆の考えは、たしかに人間として、とても大切なコトでした。
しかし、そこに注力するあまり、義隆は大内家のばく大な財産をも
投入して行きました。
それは家臣の間に分裂も生み、とくに最前線で戦っている武人は
おおいに不満を募らせます。
最近のお館さまは、度が過ぎておられる。文化や学問も、
必死で守っておる、われら武人があってこそと言うに・・。
華やぐ周防の国の外見とはうらはらに、暗雲がひろまる大内家・・
はたして、どうなってしまうのでしょうか?
さて、ちょっと、長くなってまいりましたので、
ここで、いったん区切りとしまして
続きは、最後の後編にて、お話して行きたいと思います。
≫【大内義隆③】運命の分かれ道となった猛将・陶晴賢!