![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/3832463_s.jpg)
ときは江戸幕府3代将軍、家光の時代。
前回のお話では、天草・島原の乱を鎮圧しにきた
幕府軍の総大将が、まさかの討ち死に。
≫天草・島原の一揆はなぜ起こったのか。そして松倉勝家の暴政とは?
日本全土を徳川氏が平定した、大阪夏の陣から、20年ちょっと・・
このタイミングで、地方の反乱ひとつ、鎮められないとあっては
威信に傷がつき、もはや江戸幕府は、なりふり構わない手段に出ました。
あらゆる手段で原城を攻撃
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/jose-g-ortega-castro-CBxwIZgXHeo-unsplash.jpg)
1638年1月、長崎奉行は、オランダ商館長、クーケ・バッケルを訪ねました。
![長崎奉行](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2551381-150x150.jpg)
こたびの反乱、なんとしても平定せねばならぬ、どうかチカラを貸してもらえますまいか?
![<strong>クーケ・バッケル</strong>](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/ザビエル達-1.jpg)
幕府の、方々には、たいへんお世話になっておりマス。われわれも、攻撃に参加いたしマショウ!
オランダは、ゴーテリング砲とよばれる大砲を、幕府軍に提供。
さらに戦艦デ・ライプ号を派遣し、
海から、反乱軍がたて籠る、原城を砲撃しました。
しかし、それでもなお敗北せず、頑強に抵抗する反乱軍。
兵糧ぜめと総攻撃
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/466646_s-1.jpg)
あらたな総大将となった老中・松平信綱は、 さらなる軍勢をあつめ、
最終的にその数は12万以上に、膨れ上がりました。
しかし、まともに攻め、以前の様に戦死者が増えても、いけません。
軍議の結果、兵糧攻めを行うことになりました。
そして城内の食糧がつき、とうとう弱ったところ、総攻撃の物量で押しつぶしました。
![侍大将](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/陶1-1-150x150.jpg)
よいか、反乱軍は1人たりとも逃すでない、全員打ち取るのじゃ!
ここまで、さんざん幕府軍の手を焼かせたことが、
怒りを買い、反乱軍には悲劇となりました。
攻撃は苛烈を極め、城が陥落したのち、
捕えられた反乱軍も許されず、ことごとく処刑されました。
天草四郎も討たれ、とてつもない惨劇という結果にて、
戦いは、江戸幕府の勝利に終わりました。
松倉勝家の最期
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2400517-1.jpg)
さて、もともと天草を治めていた大名、松倉勝家は、その領地を没収され
この反乱を起こした、責任を問われました。
![松倉勝家](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/674928-150x150.jpg)
反乱を起こしたのは、キリシタンどもだ。ワシに、責任はない!
そう主張しますが、のちの幕府の調査で、キリシタンのコト以前に、
あまりにもひどい政治を、していたことが発覚。
![松倉勝家](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/674928-150x150.jpg)
ぐああー!
幕府の処断は、もっとも罪の重い、大名としては異例の、打ち首に決定。
以後、天草の土地は、幕府がちょくせつ治めるコトとなり
「鈴木重成(すずき・しげなり)」という代官が、派遣されてきました。
天草へやってきた鈴木重成公
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1122423.jpg)
![鈴木重成](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
なんと、これは・・聞きしに勝る惨状じゃ!
領民の大半が、命をうばわれ、荒れはて、
すべてがメチャクチャな状態に、愕然としました。
![鈴木重成](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
しかし、何はともあれ、
まず民の年貢を減らさなければ、話にならぬ。
当地の年貢の率は、前領主の松倉家が算出した、とんでもない割合のままでした。
![鈴木重成](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
この重税では、とても民が暮らして行くこと、なりませぬ!
まずは妥当な半分の割合にする、ご許可を、頂きとうござりまする!
幕府に届け出ましたが、しかし・・
![幕府の役人](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1254026-150x150.jpg)
いちど定めた規則の変更は、前例のなきこと。
何があろうと、まかりならん!
と、まったく許可されません。
頑として許可されない年貢の変更
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-1.jpg)
あまりに理不尽ですが・・しかし、お役所仕事のごとく、
かたくなに、なんど幕府に訴えかけても、年貢の率は変えてもらえません。
![農民](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-150x150.jpg)
鈴木さま!おねげえでございます!
このままでは、わしらみな、飢え死にするしか、ありませぬ!
領民の訴えに、板挟みとなり、鈴木重成公は苦しみます。
![鈴木重成](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
どうにもならぬ!こんな年貢では、民たちは確実に死に絶える。
もはやワシにできるのは、1つだけじゃ!
重成公は江戸に戻ると、さいごの訴えを、行いました。
![鈴木重成](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/鈴木重成公-150x150.jpg)
どうか、どうか年貢の半減・・お願い、申し上げまする!
なんと自邸で切腹。自身の命とともに、幕府へ願い出ました。
しかし、どこまでお堅いのか・・
そうまでしても、まだ頑として、年貢の変更は許可されません。
しかし、重成公の後を継いだ、養子の鈴木重辰(しげとき)も
![鈴木重辰](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
なにとぞ、父の命にも免じて、お願い申し上げまする!
なんども、なんども、繰り返し訴え
・・ここにようやく幕府も折れ、年貢の半減が、認められました。
そして、父の意思を継いで、善政を敷き、
ボロボロになりはてた、天草の地は、復興していきました。
神様となった、お代官様
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1082688-1.jpg)
![農民](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-150x150.jpg)
鈴木さまは、わしらのために、命まで差し出された。
ワシらが生きて行けるのも、鈴木さまのおかげじゃ!
![町娘](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2151593-150x150.jpg)
最後の最後で、わたしたちは、統治者にめぐまれた。
なんて、ありがたい・・。
領民たちは「鈴木さま」の亡きあとも、鈴木神社や、鈴木塚を作り
先祖代々、感謝の想いを忘れないため、祀ることにしました。
この“鈴木さま”の歴史と、そして神社は、令和の時代となった今も
語り継がれ、天草の地に存在しています。
もし、ご興味のある方は、Googleなどでぜひ『鈴木様、天草』
などと、検索してみてください。
熊本県の観光サイトなどで、
史跡の案内を、見ることができます。
知られざる本当の英雄
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2023/02/22674814.png)
さて、日本史の教科書にも、天草・島原の乱は載っていますが
この、鈴木様のエピソードについては、触れられることは、ありません。
しかし、この“立派”“尊敬”という言葉では足りない
真のサムライがいたこと。
民衆の為、命をかけた、日本1の善代官、鈴木重成公の存在を
ぜひ、多くの方に、知って欲しい思いです。
歴史は、大河ドラマになるような、有名な人物も、面白いですが
いろいろな枝葉を見て行くと、無名ながら、とてつもない出来事や
素晴らしい人間の物語が、たくさんあります。
ぜひ、皆さんも折に触れ、そうした歴史にも触れてみてください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。