![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/466646_s-1.jpg)
1637年。今でいう九州の熊本県・長崎県でおきた、天草・島原の乱。
日本史の授業で習い、きっと耳に馴染んでいる方も、多いかとおもいます。
江戸幕府がキリスト教を弾圧、それに対し、神の子ともよばれる
天草四郎がリーダーとして立ち上がり、江戸幕府に正面から、抵抗した闘い。
しかし、この反乱・・たしかにキリスト教のことは、一因ではあるのですが
それとは別の、大きな理由が存在していました。
吹き荒れる、松倉家の暴政
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-1.jpg)
島原の地は、松倉 勝家(まつくら・かついえ)という大名が治めていましたが
この政治が、あまりに、ひどすぎました。
まず実際の領地でいうと、4万石ほどだったのですが、独自に検地をおこない
![松倉勝家](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/674928-150x150.jpg)
うむ、わしらの領地は、10万石以上はあるのう!
と・・過大に見積もりを行い、すべての領民に、それ相応の年貢を取り立てました。
また居城の島原城を、豪勢にするため、労働に駆り出したり
作物がとれない凶作の年にも、容赦なく年貢を取りたてました。
![取り立て役人](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/787853-150x150.jpg)
どうした?今回の年貢が、足りていないではないか?
![農民](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-150x150.jpg)
おねげえでございます。せめて取り立てを、待っていただけませぬか?
![取り立て役人](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/787853-150x150.jpg)
ならぬ!年貢の取り決めは絶対。では納めるまで、この娘は、あずからせてもらおう!
![お雪](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/2151593-150x150.jpg)
きゃー!お父つぁん!たすけて!
![農民](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1216307-1-150x150.jpg)
そ、そんなご無体な。お、お雪ー!
と・・時代劇の悪役かと思うような行いを、本当にやっていたコトが、記録に残っています。
そして幕府から、キリスト教を取り締まるよう、お触れがとどくと・・
![松倉勝家](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/674928-150x150.jpg)
ははっ!他の大名にも見本となるよう、徹底的にやりますぞ!
と・・苛烈に、残忍に、キリシタンを弾圧しはじめました。
もう、こうなっては、じぶんたちの命をまもるため
立ち上がるしかない!そう決心し
耐えかねた民衆は、団結して蜂起しました。
天草・島原の乱が勃発
一方、島原と接する天草の地は、唐津藩の寺沢堅高(てらざわ・かたたか)という大名が
治めていましたが、こちらも激しく、キリシタンを弾圧したため
島原の反乱軍と一致団結して、立ち上がりました。
その中には、もちろんキリスト教徒もいましたが、
ふだんの圧政に苦しめられてきた、ふつうの農民や、職を失った浪人など、
現状に不満を持ち、世の中をひっくり返したい、多くの人間も加わりました。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/1202764.jpg)
最終的に反乱軍は、3万人をも超す勢いに、ふくれあがりました。
反乱の規模におどろいた江戸幕府は、鎮圧の軍を編成します。
徳川家康にも仕え、数々の武功をあげた板倉重昌(いたくら・しげまさ)
という武将を総大将に、鎮圧へと派遣します。
彼に、九州の諸大名を指揮させ、出陣させました。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/746860.jpg)
![板倉重昌](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/吉川-150x150.jpg)
たかだか農民の集まりに、手間取ってはおれぬ。一気に制圧してくれるわ!
・・と思いきや。反乱軍は、原城という城を占拠し、徹底抗戦。
その戦力は強大で、まったく、落ちる気配がありません。
総大将がまさかの戦死
この時代、徳川幕府が全国を統一しているとは言え
まだ戦国時代の名残りも、色濃く残っています。
地方の反乱1つを鎮圧できないとあっては、せっかく築き上げてきた威信に
傷がついてしまいます。
江戸幕府は、さらに老中を出陣させ、援軍を派遣する決定をしました。
これに、板倉重昌はあせります。
![板倉重昌](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/吉川-150x150.jpg)
農民あいてに、われらだけで勝てぬとあっては、板倉家の恥であろう!援軍が到着する前に、なんとしても、われらだけで落とすのだ!
しかし、深追いしすぎてしまい、強力な反撃を喰らってしまいます。
逆に自分の身が、窮地に陥りました。
![板倉の側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/陶1-150x150.jpg)
殿!ここはもはや、危のうございます、お退き下さりませ!
![板倉重昌](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/吉川-150x150.jpg)
何を申すか!幕府の正規軍を率いるワシが、逃げるなどあり得ぬ!
そんなコトをしているあいだに、反乱軍の鉄砲が火をふきます!それが板倉重昌に命中!
![板倉重昌](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/吉川-150x150.jpg)
ぐわ!ま、まさか・・このワシが、こんなところで!
なんと鎮圧軍の総大将、板倉重昌は戦死してしまいました。
衝撃をうける徳川幕府
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/05/798580.jpg)
江戸幕府はこの報告に衝撃、もはや体裁にかまっている余裕はなく
予定通り10万を越す大軍、さらに交流のあったオランダへまで
援軍を要請しました。
いかに事態を重くみて、そして本気になったかが分かります。
この後、闘いのゆくえは、どうなるのでしょうか?
そして・・歴史の教科書には載らない事実ながら、この戦いの後
いまも神様として祀られている、鈴木重成(すずき・しげなり)という人物が、
天草の地にやってきます。
彼はいったい、何をした人なのでしょうか?
そして乱のあと、この地で何があったのでしょうか?
ちょっと長くなってまいりましたので、
続きは、後編にて、お伝えしたいと思います。
≫日本一の“善”代官!天草の乱後、神様となった【鈴木重成】公とは?
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました!