![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/平安カップル.jpg)
こんにちは。大内義隆、さいごの後編となります。
前回、前々回の内容については、以下よりご覧ください。
≫【大内義隆②】立ちはだかる尼子家、大内家は天下統一できるのか?
一時は京都になだれ込み、天下に覇を唱えそうな勢いさえ、見せていた大内家。
しかし月山富田城で、尼子家に大敗。
可愛がっていた養子も亡くして以来、義隆はすっかり戦意喪失しました。
華やぐ周防の国と、かたむく財政
心の穴をうめるように、芸術や学問の振興に
ばく大な財産を投入する、義隆。
そんな大内家を命がけで守る、陶隆房(すえ・たかふさ)をはじめとする武人たちは
大いに憤慨し、もっと国防をかんがえるよう、主張。
しかし一方、文化活動を支持する家臣は。
![文治派](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/今川義元-150x150.jpg)
陶隆房は、どうも戦のコトばかりでいかん。
そもそも、あやつがお館さまを焚きつけなければ、
尼子に敗れることもなかったのじゃ
と・・武人たちを批判。家臣たちの溝は、深まって行きました。
陶隆房が反乱を起こす?
さて、それからしばらくして・・大内家の内部では
不穏なウワサが、流れ始めました。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館様、一大事にござりまする。どうやら陶隆房が、
謀反を企てておるようにござりまする!
![文治派](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/今川義元-150x150.jpg)
お館様!早々に手を打たねば、大内家は、陶に乗っ取られてしまいますぞ!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
なにをいうておる。あの隆房が、ワシを討つはずがなかろう。
さように、人を疑ってはいかんぞ?
しかし義隆は、そうした警告に、まるで耳を貸しませんでした。
陶家というのは、もともと応仁の乱いぜんから、大内家に従ってきた
忠臣ちゅうの忠臣。とうじの陶隆房も、命をかけ最前線で戦ってきました。
反乱を起こすなど、信じられないのも、ムリはありません。
ところが、その謀反の情報・・じつは真実でした!
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1077547.jpg)
陶隆房は、大内家を誇らしく、熱く想うがあまり、
このまま衰退して行くのを、許すことができませんでした。
そして、弱小勢力ならいざしらず、天下を統一し、
戦乱を終わらせるコトさえ、可能な力をもちながら・・
殻に閉じこもり、文化活動に振り切っている様子にも
ガマンが、なりませんでした。
![陶隆房](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
お館様は、変わられてしもうた。ただでさえ危ういこの時期に
もはや財政も、かたむきかけておる!
![陶隆房](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
どうかお許し下され、この隆房、鬼になりまする!
たとえ、お館さまを討ち。反逆者となろうとも・・
必ずや大内を強うし、天下一の家にして見せまするぞ!!
陶隆房は、義隆を討ち、大内家の血を引く、
べつの人物を当主にする意志を、かためました。
そして反乱の軍勢を、ぞくぞくと集結させます。
陶隆房を信じる大内義隆
いよいよ謀反が、起こりそうになると
とうぜん義隆の家臣は、さらに強く忠告します。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館さま。陶が軍勢を集めておりまするぞ!
われらも兵を、集めなければなりませぬ!!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
なにを言うておる?たしかに隆房は、熱くなりすぎるトコロがある。
じゃが、それも大内家を思うておるからこそ。そのようなワケがなかろう!
どれほど警告されても、完全に信じ切っていました。
その様子には、陶隆房に反発していた家臣でさえ・・
![文治派](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/今川義元-150x150.jpg)
まもなく、お館さまは討たれ、陶が大内家を支配するは必定。
生き残るためには、今のうちに味方についておくが、得策じゃ!
・・と、ほぼ大半の家臣が、内々に反乱への支持を、表明するようになりました。
大寧寺の変(たいねいじのへん)が勃発!
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/066189-1.jpg)
1551年、ついにクーデターが勃発!
陶隆房は大軍で、義隆の館へ、攻めよせてきました。
それに対し、なんの準備もしていない、大内義隆の兵は、ごくわずか。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館様、お逃げ下され。いまや、家臣のほぼ全てが、陶の味方!
とても勝ち目がありませぬ!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
そんな・・あの隆房が!それに他の皆も・・そんな、信じられぬ!
ショックと失意をいだきつつ、わずかな家臣に守られ、なんとか本拠地を脱出。
いまの山口県・長門市にある、大寧寺(たいねいじ)というお寺に、逃げ込みました。
しかし、迫る陶軍には、あっというまに、追いつかれてしまいます。
コトここにいたり、大内義隆は事態を理解し・・
そして、もはや逃れられないことを悟り、ついに観念しました。
大内義隆の最期
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館さま、周囲はすべて、陶の軍勢に取り囲まれており、
どこにも逃げ道はありませぬ・・もはや、これまでかと!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
あい、わかった。おぬしにも世話になった。
・・わしが大内家を、だめにしてしまったな。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館様・・。
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
おお、あそこの茂みを見よ!もう季節は秋じゃと言うのに・・蛍がとんでおる!
1匹だけ、時期を間違えて、とんでおるのじゃ。・・こぼれ蛍じゃ!
![大内義隆](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2385072-150x150.jpg)
どこに行こうと、もう仲間は、どこにもおらぬというに、
バカなやつじゃ!・・ワシのようじゃ。
![側近](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2416471-150x150.jpg)
お館さま!
大内義隆は、さいごに辞世の句をのこして、自害しました。
討つ人も、討たるる人も、もろともに
如露亦如電(にょろやくにょでん)応作如是観(おうさにょぜかん)
いくさで勝つ人も、敗れる人も、一瞬の雷や、つゆのように、はかなく消えていく。
どのような存在も、定まることなく、無常に変化し続けて行く。
最期に、よのなかの全てを、悟ったような言葉を残し・・
享年45歳で、この世を去りました。
陶隆房→陶晴賢へ、悲願の天下統一を目指す
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さて、その後の陶隆房ですが、義隆の親戚である
大内義長を、あらたな当主の座にむかえました。
今までと決別するため、陶晴賢(すえ・はるかた)と名も変え、
悲願の、天下統一をめざします。
![陶晴賢](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
よいか、みなのもの!われらが目指すは、京都のみ。
すべての豪族は、さっきゅうに兵を、集結させよ!!
しかし・・その方針転換は、あまりに急すぎました。
これまで、大内家にしたがっていた豪族、毛利元就も反発し、衝突!
1555年、ついに戦いとなりました、世にいう厳島の合戦です。
陶軍は、毛利をはるかに上回っていたのですが
毛利元就は、戦国時代でも1・2を争う、とてつもない策略家でした。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/157168-1.jpg)
まさかの裏をかかれ、決戦で大敗!毛利の軍勢に囲まれ、逃げ道を絶たれました。
大内義隆を討ってから4年後・・主君の辞世の句にあった通り
こんどは自身が、はかなく散る運命と、なってしまいました。
![陶晴賢](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
ワシは・・ワシは、いったい、どこで間違うてしもうたのじゃ?反逆者の汚名を着てまで、ここまでしたというに!
追いつめれた、今わの際・・きっと彼の脳裏には、亡き主君
大内義隆のコトが、浮かんだに違いありません。
![陶晴賢](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/1845618-150x150.jpg)
お館さま・・申しわけございませぬ!
それがし、また武士に、生まれ変わりとうござりまする!!
こんどこそ最後までお仕えし、天下統一の夢を、また・・
・・享年35才。そして最後の当主、大内義長も毛利に討たれ
ここに大内家は、レキシから姿を消しました。
さて、その後の中国地方。
毛利家と尼子家が、はげしく覇権を争いますが
1枚上手であった毛利が、最終的に勝利。
とてつもない勢力の、戦国大名へと成長して行きました。
大内義隆はダメ人物だったのか?
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/大内領土改.png)
さて、最盛期には、7か国をも支配した名門ながら・・
あっというまに滅びる原因を、つくってしまった大内義隆。
げんざい、日本史上においては、おろかで、だめな人物・・
という評価を、されてしまうことが、多いです。
しかし、大きな視点で見れば、大内の最盛期を作ったのも、また義隆。
政治的な能力は、それほど、劣っていたようには思えません。
ただ・・敵をだまし、出し抜けるモノこそ、生き残れたのが戦国。
そして、窮地に陥ろうと、たとえ大切な人が戦死しようとも・・心おれず
野望をつらぬけた人物こそ、天下人になれた時代です。
いまの時代の価値観とは、真逆。
人を疑わず、繊細なココロの持ち主というのは
すばらしい人柄ではありますが・・
戦国武将には、向いていませんでした。
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/2099122-1.jpg)
もし、おなじ大内家でも、ちょっと違う時代の当主であれば、
すばらしい文化を築き、繁栄させた人物と、言われた可能性も高く
「このお殿様、生まれた時代、まちがえちゃったんだよな~」と語った、先輩の言葉には
とても、共感するものをおぼえます。
かわいらしい大内人形
![](https://aeroporto-tokyo.com/blog2/wp-content/uploads/2021/04/大内人形.jpg)
さて、さいごに。
あなたは山口県の伝統工芸品「大内人形」を、ご存知でしょうか?
小さく、丸っこい、ひな人形のような、姿をしているのですが・・
どれも、おだやかで、なんとも癒される表情をしています。
現在でも、お祝い事や贈りものとしても、親しまれているのですが
なまえの通り、かつての大内家が生み出した文化から、生まれた工芸品です。
ながめていると、ちょっと切なく・・しかし、華やかに栄えた、周防の国や
大内義隆の、優しい性格が、しのばれる気がしてきます。
あなたも、ぜひ機会やお時間があれば、いつか山口市を訪れ、
ホンモノの大内文化に触れて頂けたら、幸いです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。