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こんにちは。
この“サピエンスかみくだき”シリーズでは
目からウロコが落ち、セカイの見方が一変する名著、
ユダヤ人のユヴァルが執筆した【サピエンス全史】を
かみくだき、大切な部分を、日本人視点に置きかえ
お伝えして行く内容に、なります。
ショッピングのワナとは?
セカイのお金を、無限に増やし続けられる魔法【資本主義】
しかも、お金と人の結びつきは、ゆくゆくは世界平和に
向かうという、パラダイスのような、モノガタリです。
しかし、およそ世界中で語られる、おとぎ話や、童話にありがちなように
強大なチカラには、それ相応の代償も、伴っていました。
お金の魔法における副作用、それは・・
『ショッピングのワナ』です。
いま、文明にくらす人々の大半は“つねに”生産し“つねに”
買い続けなければ“衰退する”という、宿命を、追わされてしまいました。
さながら、泳ぎ続けていなければ、窒息してしまうサメのように。
これらを何としても維持するため、やがて世界中のあらゆる場所では、
このような、モノガタリが、溢れかえるようになりました。
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そして、いつしか人々は、倹約するのは、ケチで惨めなことであり、
たくさんモノを買える人は、豪快で器が大きく、
素晴らしいと、思い込むようになりました。
ええ?こんな古い家電、まだ使ってるの?
こんな風に、言われないように、しなければ・・
雑誌で紹介されていた服を着て、TVで特集していた、レストランに行き、
流行から、取り残されないように、しなければ・・
そうした謎の脅迫観念に、追われ続けるように、なってしまいました。
あらたに生まれた健康問題
そして、さらに深刻なのは、大昔には、ほぼ存在しなかった、
致命的な健康問題「肥満」や「成人病」です。
例えば現代、アメリカにおいては、毎日ハンバーガーやピザを
お腹に詰め込みつつ、必死に痩せなければと、苦しむ人が多数です。
今や先進国の人々が、ダイエット食品に費やすお金は、
貧しい国の、飢える人すべてを養うのに、
必要な金額を、はるかに上回る様に、なってしまいました。
やせなければ、でも食べるのを、やめられない・・
残念ながら、大多数の人々は、このループから、抜け出せません。
その理由は何か?
まいにち、まいにち、その目から、その耳から、
駅前で、町の通りで、TVで、インターネットで、
これを食べれば、幸せな気持ちになれます。あれを買えば、幸福になれます。
このように、つねに、刷り込まれているからです。
お金という魔法のモノガタリは、この地球の歴史上
もっとも信者が多く、もっとも信仰されている、
史上最強の宗教となりました。
たしかにサピエンスは、お金の魔法のおかげで、
とてつもない繁栄を遂げました。
しかしニンゲン1人1人は、セカイにお金があふれる前と後、
はたして、どちらが幸せと、言えるでしょうか?
支配しているのは人間?作物?
【進化=幸せ】なのか?
こうした疑問は、人類のあらゆる歴史にも、当てはまります。
かつてあなたは、古代史の授業で、人類は狩りをして
暮らしていたものの、やがて農業を覚え、栄えた歴史を習ったと思います。
この進化と繁栄のモノガタリも、ちょっと違った視点で、見てみましょう。
むかし、むかし・・はるか古代の1万年前。
アジアのとある草むらに「イネ」という植物が生えていました。
「イネ」はある野望を、抱きました。
我々の仲間を世界中で増やしたい。だが、この地球には、他の植物が多すぎる。
しかしある時、ホモ・サピエンスと言う動物が現れ、こう言いました。
おお!このイネの先から取れる“お米”は、食べられるじゃないか。
持って帰って、たくさん育てよう。
やがてサピエンスは『畑』と言う名の、イネの王国をつくりました。
その領内においては、その他の植物は原則、立ち入りが、禁止されています。
もし、そこに入り込み、育とうとしようものなら、
たちまちサピエンスに、引っこ抜かれてしまいます。
イネは思いました。
こうしてサピエンス達は、イネのため、苦労して川から水を引き
焼けつく陽射しのなかでも、草取りをしました。
獣や害虫から、たえず目を光らせ、ほかの動物の糞便まであつめ
地面を、肥やしました。
そうして、かつて10,000年前、この地球に生息する
雑多な植物の一種にすぎなかったイネは、いまや
地球上の、あらゆる場所で生存と繁殖を遂げる、指折りの
成功をおさめました。
発展するサピエンス
ところで、当のサピエンス達側からすれば、農業は
自分たちはイネを利用し、安定して食べ物を得られるようになった。
このように、考えています。
ニンゲンが稲を支配し、繁栄している。
稲がニンゲンを支配し、繁栄している。
はたして、どちらが真実なのでしょうか?
なお、事実として農業は、素晴らしい恩恵を、
サピエンス達に、もたらしています。
狩りをしていた時代にくらべ
安定した食糧を得られるようになり、
ケタ違いに、人口も増えました。
そのお陰で、ほぼ全員が食糧の調達や、生活に関わらなければ
生きていけなかった、採取狩猟の時代に比べ、
手の空く、ヒマなジカンを手に入れる
サピエンスも、現われ始めました。
そうした人の中からは、ひたすら1つの探求に、人生をかける学者。
表現を追求する、芸術家。戦いに専念する、兵隊。
統治に専念する、政治家・王様も誕生して行きました。
そして、村や集落しかなかったセカイに
都市や王国といった、強大な勢力をほこる、文明も誕生しました。
農業と発展の代償
しかし、農業を得た代償として、多くの人びとは
決められた土地から、離れる自由も、失いました。
畑は持ち運ぶコトが、できません。
少しでも作物の手入れを欠かせば、枯れてしまうため、
つねに畑の近くへと、住まわなければなりません。
そのうえ、上流階級に支配される構図が出来ると、年貢と称し
収穫した作物の多くを、持って行かれ、
来る日も来る日も、労働と納税のくり返しで、
人生を終える人々も、出てきてしまいました。
これでも、狩りの時代より、農耕の時代が
幸福と、言えるのでしょうか。
ほんとうの幸福はどこ?
進化=幸せとは、限らない。
それはきっと、このさき未来も、ずっと続くコトでしょう。
もし生命科学が発達し、人類が、すべての病気を克服し
永遠の若さを、手に入れられたとしても、
テロリストの爆弾で吹っ飛ばされたり、トラックに轢かれたりする
物理的な死は、まぬがれることが、出来ません。
そうなれば、今度は、そうした危険が、恐ろしくてたまらなくなり
苦悩から、逃れることは、出来ないでしょう。
本当の幸福とはいったい、どこに存在するのでしょうか?
モノガタリと巧みに付き合う
幸せはどこにあるのか?
それは最終的に、私たちがセカイをどう見て
つき合って行くかに、掛かっています。
ここまで人類に、とてつもない繁栄をもたらした、
魔法のモノガタリはすべて
大きな恩恵と代償の両方が、ありました。
しかし・・
神様も、国も、会社も、テレビも、お金も、文明も、
われわれのモノガタリこそ、最高の幸福と、語りかけてきます。
それに支配されたり、依存し過ぎてしまえば、
あなたは、その語り部として、モノガタリに反することは、
言えなくなってしまいます。
ココロの奥底では、どう思っていようと。
TV局のニンゲンは『我々の報道は正義』と、言い続けなければならず
セールスマンは『これを買えば、幸せになれます』以外のことは、言えず
アイドルは、ファンの理想から外れる言動は、許されません。
なぜ、世の中の人はみんな、仮面をかぶって生きているのか?
その答えは、世界はモノガタリで、作られているからです。
そして皆、それを演じる、役者だからです。
そのうえ、どのモノガタリも、最高に優秀な人が
考え抜いて、作られたものです。大勢が、心奪われないはずがありません。
しかし、最高か最低か?善か悪か?といった風に、
ひとつの価値に捕らわれない、広い視点をもち、
巧みに、このセカイと、つき合って行けたならば
この現代に、この地球に、あなたの本当の幸せは、必ず存在しています。
ぜひ強かに、しなやかに・・各々が在るべき場所を見つけ、
ほんとうの幸福へ、生きて行きたいものですね。